一人ひとりが、パークホテルでした。
SAPPORO PARK HOTEL STORY
1964ー2027
お客さまや従業員、このホテルに関わるすべての人たちが、
少しずつ積み重ねてきた時間。
まさにそれこそが札幌パークホテルをつくってきたのです。
一人ひとりの胸のうちにある記憶をたどりました。
Letters
札幌パークホテルを
愛してくださった皆さまから。
63年という時間の中で、
札幌パークホテルには、たくさんの出会いがありました。
札幌パークホテルを愛し、支えてくださった皆さまに、
このホテルとの思い出や、心に残る時間について
言葉を寄せていただきました。
北海道
知事 鈴木 直道
感謝のことば
緑豊かな中島公園に佇み、多くの方々の思い出を育んできた札幌パークホテルが、このたび長い歴史に幕を下ろされることに、深い感慨を覚えています。
札幌パークホテルは、1972年の冬季オリンピック招致に必要となる国際水準のホテルの新設という、道内からの期待を一身に背負い、本道の発展に向けた歴史の一幕を鮮やかに飾り、開業の瞬間を迎えられました。
これまでには、皇室の方々をはじめ、多くの国賓や公賓、国内外のお客様をお迎えするとともに、数々の国際会議のおもてなしの場としても重要な役割を担われ、また、道の様々な事業の実施に当たりましても、多大なるご協力をいただきましたことに厚くお礼を申し上げます。
札幌パークホテルは、時代の変遷とともにお客様のニーズが多様化する中、常に新たな魅力を取り入れながらも、お客様一人ひとりを大切にする変わらぬ真心あふれるおもてなしの積み重ねにより、道民の皆様をはじめ国内外の多くの方々から愛され続けてこられました。
スタッフの皆様お一人おひとりの心を尽くしたサービスにより、多くのお客様から厚い信頼を寄せられてきたことと存じます。私自身も、公務を通じて幾度となく訪れ、そのたびに変わることのない温かなおもてなしで迎えていただき、心に安らぎを与えていただきました。
荒井代表取締役社長をはじめ、株式会社グランビスタホテル&リゾートグループの皆様、そして、長年にわたり、本道を代表するホテルの一つとして、その存在を支え続けてこられた皆様に、深く敬意を表します。
いま、本道を取り巻く環境は、大きく変化しています。新千歳空港の旅客数が過去最高を2年連続で更新するなどコロナ禍からの回復の動きが本格化するとともに、道民の悲願であった本道と北米を結ぶ初の直行便が本年12月に就航するなどインバウンドを中心に前向きな話題が続いています。
こうした中、札幌パークホテルの閉館により札幌の一つの歴史が幕を閉じることに寂しさは尽きませんが、札幌パークホテルで培われた伝統と格式、そして、おもてなしの心は、世界に誇る北海道の観光にしっかりと息づいています。
道としましても、「道民に愛され、世界から選ばれる観光立国北海道」の実現に向け、観光に携わるすべての皆様とともに、一歩一歩着実に歩みを進めてまいります。
結びに、60余年にわたり札幌パークホテルが本道の発展に多大な貢献をされてきたことに重ねてお礼申し上げますとともに、関係する皆様の新たな道でのご活躍を祈念申し上げ、感謝のことばといたします。
札幌市
市長 秋元 克広
このたび、札幌パークホテルが、多くの方々に惜しまれつつ、その長い歴史に幕を閉じられますことに際し、一言感謝の言葉を申し上げます。
札幌パークホテルの皆様におかれましては、1964年の開業以来、半世紀以上の長きにわたり「北の迎賓館」として、国内外の皇族や要人を始めとする数多くの賓客をお迎えしてこられました。また、市民の皆様にとっても、人生の大切な節目を彩るかけがえのない思い出の場所として深く親しまれてきました。これまで、札幌市の観光産業の発展と国際交流の推進に多大なるご貢献を賜りましたことに、深く感謝申し上げますとともに、貴館の素晴らしい伝統を築いてこられた歴代の経営陣の皆様、そして日々、至高のおもてなしを届けておられる全従業員の皆様に対し、心から敬意を表します。
振り返りますと、札幌パークホテルの歩みは、まさに札幌の街が国際都市へと発展してきた歴史そのものでした。1972年の札幌オリンピックをはじめ、札幌が世界の舞台へと躍り出る契機となった数々の歴史的瞬間に、貴館はその舞台となって札幌の歩みを支えてくださいました。どのような大規模な催事におきましても、洗練されたおもてなしと細やかなお心配りをいただき、主催者としてどれほど心強く、安心して大役を果たすことができたか計り知れません。貴館で迎えた賓客の方々が、満足の笑顔で帰路につかれた姿が、今も鮮明に記憶に残っております。
また、私個人にとりましても、貴館は深い愛着のある場所です。各界の皆様との交流の場で敷居をまたがせていただいたことはもちろん、私自身の家族も大変深いご縁をいただいており、かつて私の娘がこちらで結婚式を挙げさせていただいた折には、格式高くも温もりあふれる最高のおもてなしをいただき、家族一同、胸がいっぱいになるほどの感動を味わいました。この美しい空間での喜びや感動は、私ども家族と同じように、参加された一人ひとりにとって、色褪せることのない大切な記憶として深く刻まれていることと思います。
現在、札幌は都心部において大きな変革期を迎えており、四季の美しさを感じられる市民の憩いの場であり、歴史と文化が融合する中島公園地区についても、未来に向けた新たなまちづくりを推進しております。その象徴ともいえるのが、札幌パークホテルの建て替え計画と歩調を合わせて進めている、最大5,000人規模の国際会議などに対応可能な「新MICE施設」の整備計画です。伝統とホスピタリティを受け継ぎ誕生する新たなホテルと、新たなMICE施設が連携することにより、中島公園地区は「国際都市・札幌」の新たな交流拠点へと進化いたします。新たに生まれ変わるホテルが、その中核を担っていただけますことを心より願っております。
結びに、札幌パークホテルのこれまでの多大なるご貢献に改めて深く感謝を申し上げますとともに、ホテルの建て替え工事が事故なく安全に進みますことを心より祈念しております。
新たな「北の迎賓館」の誕生を心待ちにしております。
札幌商工会議所
会頭 安田 光春
1964年の開業以来、半世紀を超える長きにわたり、札幌の迎賓館として多くの人々に愛され、この街の歴史とともに歩み続けてこられた札幌パークホテル。その長い歴史に一区切りがつくことに、深い感慨を覚えずにはいられません。
札幌パークホテルは、東京オリンピックが開催された1964年、国際水準の観光ホテルへの期待が高まる中で誕生しました。当時の北海道知事や札幌市長、そして札幌商工会議所会頭も務められた廣瀬経一氏をはじめ、官民一体となった熱意と英知によって実現した、まさに時代の要請に応えたホテルでございました。
1972年の札幌冬季オリンピックでは、国際オリンピック委員会(IOC)総会の会場となり、数々の国際会議やレセプションの舞台として世界中から訪れた賓客を迎えました。さらに1975年には、日米市長・商工会議所会頭会議の開催地ともなり、日米両国の都市間交流と経済界の連携を深める歴史的な舞台としても、その名を刻んでおります。その後も、国内外の要人の宿泊をはじめ、北海道を代表する式典や催し、そして数え切れないほどの結婚式など、人生の節目を彩る大切な舞台として、多くの人々の喜びと感動に寄り添い続けてこられました。
札幌商工会議所もまた、長年にわたり札幌パークホテルと深い縁で結ばれてきました。数々の会議や催しをこの地で開催し、中でも会員表彰式・新春交歓会は毎年最も広い会場を使用して盛大に実施してまいりました。私自身も幾度となくその場に立ち、札幌パークホテルのきめ細やかなおもてなしと格調ある空間に、毎回深い敬意と感謝を感じてきたところでございます。
また、中島公園を臨む素晴らしい立地も、札幌パークホテルの大きな魅力でした。日本の都市公園100選に認定された自然豊かな公園を窓越しに眺め、春の瑞々しい新緑、夏の爽やかな水辺の風景、秋の銀杏の見事な紅葉、冬の美しい雪景色という四季折々の表情が、訪れるすべての人々の心を和ませてくれました。この景色は多くの方々の記憶に刻まれていることでしょう。
半世紀を超える歩みの中で、札幌パークホテルが札幌の経済・文化・観光の発展に果たしてきた役割は計り知れません。国内外から訪れる賓客をあたたかく迎え入れ、この街の誇りとして輝き続けてきた存在は、私たち札幌商工会議所にとっても、そして札幌市民にとっても、かけがえのないものでございます。
閉館は誠に寂しく、惜しまれてなりませんが、施設の建て替えという新たな出発への一歩でもあります。近年、札幌はMICE都市としての注目度が急速に高まっており、国際会議や学術大会、企業イベントなど、国内外から多くの方々が訪れる機会はますます増えております。新たな施設においても、長年にわたり培われてきたあたたかいおもてなしの精神と格調ある空間づくりの伝統が受け継がれ、国内外を問わず多くの方々に選ばれるMICE拠点として、札幌の国際的な発展を力強く支える存在となることを心より期待しております。中島公園という比類なき環境に抱かれたこの地が、会議や交流の場として世界に向けてさらなる輝きを放つ日を、私は楽しみにしております。
長年にわたり積み重ねてこられた輝かしい歴史と誇りは、これからも確かに受け継がれていくものと信じております。
これまで札幌の地を支え、愛し続けてくださったすべてのスタッフの皆様、そしてホテルを愛してやまないすべての方々に、心より感謝申し上げます。
長い間、本当にありがとうございました。
一般社団法人 札幌観光協会
会長 笹原 晶博
私は6歳から22歳までを豊平区平岸で過ごしました。当時、私が通った平岸小学校の学区は広く、平岸はもとより、中の島や木の花団地にも及びました。友人の家へ遊びに行くと、豊平川の向こうに青く美しい建物が見えました。それが札幌パークホテルでした。近隣の人たちにとっては、ハイカラで札幌の新しいシンボルとなるこのホテルが身近にあることはちょっとした自慢だったのかもしれません。子ども心にもその誇らしさが伝わってきたことを覚えています。
その後、札幌は1972年の冬季オリンピックに向けて大きく変貌し、国際都市へと成長していきました。その象徴の一つが中島公園に佇む札幌パークホテルでした。
初めて私が札幌パークホテルの中に入ったのは大学1年生のとき。青森から新婚旅行で札幌を訪れた従兄夫婦を、家族で囲んで食事をしました。ところが帰宅すると自宅は空き巣に入られており、警察を呼ぶ騒ぎに。翌朝、何事もなかったような顔でホテルのロビーに二人を迎えに行き、札幌を案内したことは忘れられません。
社会人としての第一歩もパークホテルでした。入行式を終え、役員の方々とホテル内で昼食をともにした後、新入行員は期待と不安を胸にそれぞれの配属店へと赴任していきます。私も道北方面に向かう同期とともに列車に乗り込みました。
社会人2年目には、大学時代の親友の結婚披露宴が当ホテルで開かれ、私の「パーティースピーチデビュー」となりました。200人近い出席者を前に、親友を持ち上げるだけ持ち上げて紹介しましたが、多くの方は「そんなはずはない」と思っていたに違いありません。
最近では妻や家族と「なだ万」や「桃源郷」を訪れ、中島公園の四季折々の景色を眺めながら、格別な時間を過ごしています。
数えてみると、2004年以降の22年間だけでも、会合、慶事、弔事、会食などで250回以上利用しています。それだけ多くの企業や経済界のさまざまな節目に、このホテルを通じて立ち会わせていただいたのだと感じています。
少年時代、豊平川の向こうに憧れをもって眺めていたホテルが、いつしか私の人生の節目を見守る大切な場所となりました。長年にわたり、変わらぬ温かさで迎えてくださったホテルスタッフの皆様に心から感謝するとともに、新しい札幌パークホテルが、次の世代にとっても憧れと誇りの場所となることを心から期待しています。
公益財団法人 札幌国際プラザ
理事長 町田 隆敏
1964年の開業以来、札幌パークホテルは、札幌を代表するおもてなしのシンボルとして、国内外から訪れる多くのお客様を迎え続けてこられました。62年という長きにわたり、札幌の発展とともに歩み、その歴史を築いてこられた皆様に、心より敬意を表するとともに、深く感謝を申し上げます。
札幌パークホテルは、札幌都心部にありながら緑豊かな中島公園に隣接し、また遠くに藻岩山の山並みを望む絶景に恵まれた地に建っています。札幌の南部、定山渓のさらに奥の山々に降った雪や雨を水源とする豊平川、そしてその支流である鴨々川が流れるこの土地は、むかしから人々が行き交う場所だったのではないでしょうか。
札幌の国際交流とMICEにとっても、その存在は欠かすことができません。G7札幌気候・エネルギー・環境大臣会合レセプションや国連軍縮会議、国際顕微鏡学会議レセプション、札幌市の姉妹都市提携周年記念事業等、数多くの国際会議やイベントが開催され、札幌が国際都市としての信頼と評価を築くうえで、とても大きな役割を果たしていただいています。
新しい知識や技術、文化、そして未来への挑戦は、人と人との出会いから生まれます。札幌パークホテルは、まさにその出会いを支える舞台として、多くの交流を育み、札幌の魅力を国内外へ発信し続けてこられました。
また、札幌パークホテルは、かつてはボウリング場がありましたし、今でも結婚式や披露宴、宴会、レストラン、夏のビアガーデンなど、札幌市民にとっても親しみのある、自分たちの街のホテルでもあります。
実は私も1979年にここで結婚式を挙げており、そのおかげか夫婦円満で、私個人にとっても大変思い出深いホテルです。
札幌パークホテルは、このたび一つの歴史に幕を下ろされますが、新たなホテルとして生まれ変わることに大きな期待を寄せています。川の水が絶え間なく流れ続けるように、この場所がこれからも人の流れの起点となり、文化、観光、MICEを通じた国際交流の拠点として、新たな時代を切り拓いていかれることを願っております。
札幌パークホテルが築き上げてこられたおもてなしの精神が未来へと受け継がれ、この場所から新たな出会いと価値が生まれ続けることを心より期待しております。これまでの62年間のご功績に深く敬意を表するとともに、新たな50年、100年に向けたさらなるご発展を心から祈念申し上げます。
一般社団法人 すすきの観光協会
会長 大島 昌充
私は地元豊水地区の小学校ではないのですが、ほど近い小学校に通っていた。
中島公園にはスポーツセンター、野球場があり、夏には相撲の札幌場所(夏巡業)があり、毎年楽しみであった。
お相撲さんの稽古を観るのが楽しみで、自転車で大きな青いお城のようなパークホテルの横を通って通っていたことを思い出す。また、野球場では頻繁に社会人野球の試合があり、高校生の時、土日には、飲料水販売のアルバイトをしながら、野球を楽しんでいたことを鮮明に覚えている。
社会人になってからは、なかなか、友人の結婚式以外はパークホテルに行く機会がなかったが、すすきの観光協会の仕事に携わるようになってからは、子どもの頃にみた青いお城のようなパークホテルは、会合の中心的な存在のホテルになった。
各協会の総会、懇親会、雪まつりの前夜祭パーティー、豊水地区連合町内会の直会など、またススキノの冬の最大イベント氷の祭アイスワールド、氷彫刻の素晴らしい技術を指導・育成していただいているのもパークホテルの調理人の方々である。
個人的にも家族、友人等とパークホテル内のバイキング料理店は、度々利用させていただいている。
中島公園に隣接しているパークホテルでは、公園の四季を楽しむことができる。
春には、桜の木々が近年熟成し、山桜、ソメイヨシノ、しだれ桜、そして最後に咲くパークホテルをグルっと囲む八重桜、4月の中旬よりゴールデンウイークの最後まで見ごろである。
夏は、数々の木々の新緑から真夏の深い緑を楽しめ、秋は、何と言っても紅葉が素晴らしい、冬も観光客には滑る経験が楽しい歩くスキー、パークホテルに宿泊するお客様はいつ来ても、札幌を満喫できパークホテルの庭園と思える中島公園を散策してほしい。
数年後には新しいホテルと新MICEの完成を期待して楽しみにしています。
青いお城のようなパークホテル!長い間ありがとうございます。
株式会社 アークス
会長 横山 清
開業百年をめざすパークホテルに期待
65年も前のことですが、札幌では2番目の食品スーパーマーケットが誕生しました。廃業した市場を改造した貧弱な店舗(75坪)は、物珍しさの故か結構な賑わいでしたが採算面では存続が危ぶまれる状態が続いていたのです。緊急対策として、親会社が入社2年目の私を営業部長として任命し、即日に派遣しました。それから3年後、冬季オリンピック開催を前提とした目映いばかりの最新鋭のホテルが忽然と姿を現したのが、パークホテルでした。北海道の片田舎に生まれ育ち、札幌の地を初めて踏んだのは高校生になってからという私にとっては、発展途上の北海道とはいえ、当地では見たこともないホテルに感嘆と未来に対する期待に自分を重ねて、商人として成功し顧客に感動を与えるような存在になりたいと心から思いました。
閑話休題、このパークホテルが来年2月をもって閉館するというニュースに愕然とし、なお且つ生活の重要部分を占めるパークホテルとの交流密度の空白を如何様に埋められるかを煩悶し、これから自らの人生設計をも慮っていました。
パークホテル開業50周年を迎えた記念誌では、『地域の価値で未来を変えていく』と発表されましたが、あれから12年を経過し、あと38年で開業百年となる訳ですから、その為にも新築による休業はやむを得ないことと理解し納得しましたが、パークホテルと共に、私たちの夢を現実に考え、理想を具体化してきた者としては、政治・経済・社会・文化の各分野において重要拠点となったパークホテルに替わる機能を有する施設や組織がない現状を如何に取り繕うかに苦渋しているところです。
私個人の関係からみても、30を超える団体の責任者をしておりますが、その札幌での会合の70%は会場がパークホテルです。共に歩んできた60余年の成果は「八ヶ岳連峰経営」のグループとして食品スーパーマーケット10社に及び、目下、年商1兆円を目指しているのも『地域の価値で未来を変えていく』考えと、軌を一にしているとも言えます。
1年間の出向社員として派遣された新米の社員が、今年5月で91歳となりました。いつの間にか人好き、商売好きとなり現状に満足せずに今日より明日はもっとお客様に満足をお届けしたいと願う気持ちを強く持てるようになったのも永い間に培われた人間関係のおかげです。特にサービス精神の質と量の集積は、ホテルビジネスのレベルに到達することは容易ではありません。
働き方については、時代の変化に伴って対人関係にも多少の齟齬をきたす場合もあります。『仕事を愛し続けること』によって生き方や考え方が、これからの生活に元気と勇気、そして「やる気」が澎湃と沸き起こると信じております。
大袈裟な言い方ですが、開業百年を目指す新時代の大発展ホテルが一日も早く構築されることを祈ると共に、孫娘の結婚、そして最愛の妻・久子との遅れたダイヤモンド婚を是が非でもパークホテルで開催したいと切望していることをお伝えいたします。
株式会社 セコマ
代表取締役会長 丸谷 智保
謝辞!パークホテルさん
道民は親しみと尊敬を込めて、企業名に「さん」を付けて来た。
拓銀さん、丸井さん、そしてパークホテルさん。
弊社から非常に近いそのホテルは、美しいブルーの外壁が中島公園の佇まいに良く馴染んでいる。
長い間、会社も個人も大変お世話になった。
毎年、セコマの新年総会をパークホテルさんで開催させて頂いている。
ある年の総会で、当時社長であった私がFCのオーナーさんや社員の前で大事な挨拶をするときに、よりによってインフルエンザの高熱で体が動かなくなったことがある。それでも、這うようにして会場へ向かうと、ホテル側の機転で、客室を用意してくれていた。ベッドで一時間ぐっすり寝て、何とか30分の挨拶を終える事ができた。この配慮は非常に助かった。
セコマ創業者の故・赤尾明彦会長の偲ぶ会もパークさんだった。地下にある広いスペースに思い出のパネルを配置し、多くの参会者が故人を偲んだのだが、何よりの「圧巻」はホットシェフの模擬店を出店した事である。
ホットシェフは故人が生涯をかけて開発し、今もセイコーマートの看板カテゴリーである。実際にフライヤー等の調理器具を持ち込んで、皆さんに賞味いただき故人を偲んだのだが、ホテル内で他社が調理するのは通常非常に嫌がられるのだが、パークホテルさんは快く応諾してくれた。
このとき食べたホットシェフのフライドチキンが最も美味しかったことを覚えている。
今、セイコーマートでは20万食のクリスマスケーキを予約販売するが、スタート当初は200個から始まった。
徐々に数が増えていくとケーキを作るスペースが無くなり、やはりパークさんのあの広い地下一階のスペースを借りて、パティシエが入り込み生ケーキを作っていた。
私がセコマに入る前の話だが、クリスマスのその日に間に合わせなければならないケーキ作りは大変な作業だったようだ。
今は、自社工場も持ち20万個のクリスマスケーキを道内各地にお届けしているが初期の段階ではパークホテルさんに助けていただいた。
妻と二人で、ホテルの一階にあった銀座和光にもよく足を運んだ。中島公園を散策し、ホテルに戻ってお茶を飲む。車はいつも正面の車寄せに停めさせてもらった。
そんな親しみと敬愛のホテル、パークホテルさんも皆に惜しまれながら来年2月で最後の時を迎える。
またこの地に別な形で帰ってきてくれることを期待している。永遠に受け継がれるホスピタリティと共に。
日本都市設計 株式会社
相談役 武部 實
私の札幌パークホテルとの関わりは約50年前、34歳のとき、札幌青年会議所(JC)に入会させて頂いたころからです。毎月2回、夜の例会に行くと、林総支配人が凛としてお立ちになってお迎えするお姿に憧れていました。その後、現在の齊総支配人までに何人も代りましたが、歴代の総支配人をはじめ札幌パークホテルのスタッフは皆さん心地よい方々ばかりでした。
振り返ると、驚くほど沢山の思い出があります。あまり目立たない2階のパールルームは無謀と言われながらもJC入会6年目で理事長選挙に立候補し、立会演説会で熱く語った若き日の思い出の部屋で、票数6対4で負けました。JC歴史上理事長選挙は未だにこの時の一度だけのようです。
長男の挙式、披露宴もパークホテルにお世話になりました。会社日本都市設計(株)は息子の時代になった今も新年会、忘年会、新入社員歓迎会等々お世話になっております。我が家は長年の恒例として、正月1月2日は桃源郷で会食させていただいています。来年は東京在住の長女、次男家族も久し振りに加わり私ども夫婦、子ども3名、孫5名、全員12名での新年会を予約いたしました。生涯の思い出になると思いますが、パークホテルの休館中はどうしたら良いかと思うととても寂しくなります。
兄・武部勤が国会議員現役時代、選挙区外での政治活動資金集めの政経セミナーはいつもパークホテルにお世話になっていました。盛況に見えるからと手間がかかるのにもかかわらず、机と椅子の学校スタイルの集会を提案してくれたのもパークホテルの担当者でした。
本年6月札幌南ロータリークラブ(南R)は創立70周年を迎え、永年連続41年出席の表彰状を頂きました。41歳で南Rに入会してから今年83歳。さまざまなことでパークホテルにお力を頂きました。岩城会長の時に幹事、南Rの創立40周年は副会長で、時の畑中会長に「奥さんに能を舞って頂きたい」とお願いされ、式場のエメラルドの舞台を3間4方に設営するのにパークホテルは苦労されたようでした。祝い能として「羽衣」を舞いました。
南R創立50周年で会長を務めました。高橋はるみ知事を来賓にお迎えし、チャーターメンバーの坂会員に記念品をお渡ししたことが思い出されます。
2016~2017に2510地区Rガバナーに就任。2日間にわたる地区最大のイベントをパークホテルに依頼。代表幹事を務めて頂いた橋本耕二会員はじめ南R会員の皆さんと、挙げて協力して頂いたパークホテルの皆さんに心より感謝しています。
登録約2,000名の地区大会、今も語り草になっているのが、地下のパークプラザで行われた1,036名、着席名札付き大皿無しのフルコース大懇親会。三ツ星フレンチレストラン・シェフ南R中道博会員の総監修です。南R会員は毎日のように懇親会に確実に出席する人の確認をしていました。事前にバックヤード、配膳ルート等々の現場視察は緊張しました。
いよいよオープン、開演で感動のあまり言葉を失い、只々ありがとうの一言でした。ラストは、暗転になりアイスクリームに火を灯し、あの広いパークプラザの壁際に200人以上が立ち並ぶ幻想的な空間の様子は感動的でした。
パークホテルの責任者が常に札幌南ロータリークラブ会員として活動していただいていることに深く感謝いたします。札幌パークホテルは私の人生に大きく寄与して頂きました。ありがとうございます。
参議院議員(元北海道知事)
高橋 はるみ
株式会社グランビスタ ホテル&リゾート札幌パークホテルの皆様、60年余の長きにわたり、北海道観光の振興に多大なご尽力をいただきましたことに、心から感謝を申し上げます。
札幌の歴史ある都市型リゾートホテルとして、緑豊かな中島公園の景観と爽やかで心地よい環境の中で、お客様にくつろぎと安らぎのある最高のひとときを提供され続け、観光振興はもとより、北海道の政治、経済を陰で支え、本道の発展に多大な貢献をされてこられたことに心から敬意を表します。
長い歴史の中では、皇室の方々をはじめ多くの国賓や公賓、国内外のお客様をお迎えし、また数々の国際会議の会場となるなど、北海道民をはじめ、国内外の多くのお客様から愛されてきました。私も北海道知事時代には数々のお客様を大切にお迎えし、おもてなしさせていただいたことを誇りに思っています。
近年、時代の変遷とともに、お客様のニーズが多様化するとともに、インバウンドによる観光客が激増する中、常に新しいホテルへと進化し続けながら、スタッフ一人ひとりの素敵な笑顔や創意工夫による美味しいお料理の提供など、真心のこもったおもてなしにより、すべてのホテルマンが心を一つにして質の高いサービスを提供し続けてこられたことが、お客様からの高い評価につながってきました。
この度、施設の建て替えに伴って、2027年2月末日をもって営業を終了されるというニュースを伺い、思い出がたくさん詰まったこのホテルが閉館されるのかと思い、残念でなりません。
私自身も個人的に、中島公園の散歩がてらホテルに立ち寄りゆっくりコーヒーを飲むなど、忙しい日々が続く中にあって、ここで四季の移ろいを感じながらのんびりと心と体を癒すことが出来ました。私にとって、このホテルはプライベートでもなくてはならない存在でした。
閉館は寂しいことではありますが、札幌パークホテルを訪れたお客様お一人おひとりの心には、人々を穏やかにする札幌パークホテルの落ち着いたたたずまいがしっかりと刻み込まれていることでしょう。
本当に長い間、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
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